玉緒の日記

日々是流々

欲しいマンガを探しに出かけたら

年末のこの時期は暇だ。だから、暇つぶしのためにマンガを買おうと考えた。

 

ブックオフなどの古本屋に寄って、どの商品を買うかなとワクワクしながらいろんなマンガを摘まみ喰いをして、これはと思うマンガを見つけると家でゆっくり読もうと思い購入しようとするんだけど、レジに持っていく前にネットでちょっと値段を調べると、そのお店で買うよりも断然に安かったりする。送料を入れても安い。こうなると、もう全然購買意欲が下がってくる。

 

つまり、かなり貧乏性なのだ。ここで言う貧乏性とは、すぐ手に入るという時間性、暇を持て余した休みのこのタイミングだからこそ欲しいという時期性、物を選んでそれを購入するという体験性、など諸々の価値軸を凌駕して、ただ価格性の優位にのみでしか判断できなくなるという、なんとも面白くない性質を言う。

 

この判断が恐らくは間違っているのだろうというのはわかっている。本を諦らめて車に乗るときの寂しさは筆舌に尽くしがたいものがある。決して本が買えなかったことが寂しいのではなく、価格優位性で恐らくはすべてのことが決着してしまうこの社会のシステムに対して、そしてシステムにプログラミングされそこから外れた行動をすることが許されなくなった自分に対する寂しさだ。

 

もうすぐ108つの煩悩を消す鐘が鳴るが、もう誰も煩悩に従って生きていける程にこの社会は甘くない。一見、煩悩がはびこる世に思えるが、そもそも煩悩が通じる社会は既に遺産でしかなく、もっと大きな目に見えない何かに煩悩さえも管理された、もっと言えば煩悩に従って自由に生きていると錯覚されるような社会に生きていることを、鐘の音に気づくべきだろう。

 

あの鐘の音は我々の心に対するレクイエムかも知れない。