玉緒の日記

日々是流々

甥っ子と僕

僕には4歳の甥っ子がいる。無邪気で元気で、可愛くて仕方ない。そして、行動を見ていると全然飽きがこないほどに面白い。ときには面白いを通り越して、驚きをもたらせてくれる。

 

彼は電車が好きでプラレールでよく遊んでいるのだけれど、いつも床に寝そべってそれを動かしている。話しかけてもあまり返事は返ってこず、どこか一人で別の世界へ行ってしまっているような顔だ。

 

しばらく横にいると、飽きたのか彼が顔を上げる。ここぞとばかりに聞いてみる。どうしてそうやって電車を見るの?と。彼は「顔がよく見えるから」とあっさり。試しに甥っ子の横に寝そべってみてプラレールを見てみると、なるほど顔が良く見える。そして、しばらくそのまま目前の景色に触れていると、はっと気付いた。その景色は駅のプラットホームから電車を見るのと同じなのだ。角度といい、目線の高さといい、まさに駅のプラットホームの景色。遠い場所から段々と大きくなって近づいてくる電車がありありと目の前に広がった。彼は実際に駅から見える景色を、プラレールで再現していたのだ。プレレールは電車で、床は駅のプラットホームで、彼の周りの空気は駅の空気、きっとアナウンスも聞こえているだろう。つまり彼の心風景の中ではそこは、まさに駅そのものであったのだ。

 

おそらくはうちの甥っ子に限らず彼ら幼児は、同じような創造、これは立派に創造であるだろう、を日常の中で行っている。ふと、その一面を垣間見た瞬間、もう自分には二度と見ることのできない世界の尻尾に奇跡的に触れられたような、まるで食べてはいけないリンゴを齧ってしまったような、不思議な感覚を覚えた。彼の案内無くしては二度と見ることのできない世界だ。しかし、同じ景色を見ていても、そこに見えるものは彼と僕では全く違うであろう。一体、彼はどんな世界を創りあげているのか全容を見てみたいと思うと同時に、少し怖い気持ちにもなる。

 

一見、ただおもちゃで遊んでいるように見えても、彼らは当たり前のように我々大人にはもはや行うことができないほどに豊かで深い深い世界を創り上げている。運がよければ、そして彼らの機嫌が良ければ、ちょっとだけその世界に連れていってくれるかもしれない。